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北方領土 動き出すロシアとその長期戦略

北方領土 動き出すロシアとその長期戦略

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先日、ロシアのプーチン大統領が来日し首脳会談が開催された。その結果は周知の通り3000億円規模の経済協力で合意するも、領土問題では進展は見られなかった。

北方領土問題解決への期待が高まっていただけに、多くの日本国民ががっかりしたのではないだろうか?

確かに今回の結果は外交面での敗北であり、そうした批判はあってしかるべきである。

しかし、この問題に対して、報道やネット上の言論はあまりにも短絡的であり、長期的な視野に欠けている。

 

 

そこで今回は、ロシアの極東戦略を解き明かし、そこから見えてくる100年後の北東アジアの姿を描こうと思う。

ロシアはヨーロッパか?アジアか?

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「ロシアがヨーロッパかアジアか、それは私にも分かんない。たぶんロシアはロシアだよ」

あるロシア人留学生のこの回答が、現代ロシア人の感覚を象徴している。

 

歴史を振り返ってみても、ロシア人のアイデンティティは常にヨーロッパとアジアの狭間で揺れ動いている。

 

10世紀以降、キリスト教を受容する中でロシアはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の文化的影響を強く受ける。この時期のロシア人(ルーシー人)のアイデンティティがどのようなものであるかは専門家の研究に任せるとして、少なくとも広義のヨーロッパ文化圏に属していたことは間違いないだろう。

またこの時期、ルーシ人はドイツ騎士団の侵略・略奪に悩まされている。

 

その後13世紀に、ロシアはバトゥ率いるモンゴル帝国により征服され、以後240年にわたってその支配を受ける。この「タタールのくびき」と呼ばれる時代に、ロシアのアジア化が大きく進み、また一方でモンゴル帝国に組み込まれたことで、東方世界との交通・貿易が整備された。現在のロシアがあれほど広大な国土を保有するのは、この時代に整備された交通網・経済圏に起因する。

またモンゴル(アジア)と一体化することにより、ロシアはドイツ騎士団などのヨーロッパからの侵略を回避した。

 

その後モスクワ大公国の発展により、ロシアはモンゴルから自立する。モスクワ大公はビザンツ帝国最後の皇帝の姪を妻として迎え、自らをビザンツ帝国の後継者であるツァーリと称した。しかしながら、以後もモンゴルの影響は色濃く残り、特に貴族階級の多くはモンゴル系であったり、その文化を継承することとなる。

 

17世紀末、ピョートル大帝の西欧化政策により、ロシアは欧州の列強国の1つとなる。それは同時に皇帝の専制支配強化、すなわちモンゴル系を中心とした貴族の排除を意味した。

 

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↑ ピョートル大帝

 

19世紀の前半、フランス皇帝ナポレオンはロシア遠征を行う。しかし、それまで無敵をフランス軍はロシア側の焦土戦術により大敗し、その結果ナポレオン体制は崩壊する。ちなみにこの時ロシア軍の指揮をした将軍クトゥーゾフは、モンゴル系(トゥルク系)である。

 

 その後、ロシアは欧州に意識を向けクリミア戦争を戦ったかと思えば、アジアに意識を向け日露戦争を戦ったりと、ヨーロッパとアジアに交互に向かっていくこととなる。

そしてロシアは革命と2度の大戦を経て、現代の姿となるのである。

 

 

 このように歴史を概観してみると、重要なポイントが二つあることに気づく。

1つはヨーロッパ→アジア→ヨーロッパ→…と、ロシア人の意識がヨーロッパとアジアに交互に向くこと。そしてもう一つは、ロシアが相対的に常に弱者の立場にあることである。

現代の言葉に置き換えれば、ロシア政治は親西欧主義者とユーラシア主義者の狭間で揺れ動いており、また米・欧・中と比較して相対的に弱者の地位にあるのである。

 

 そしてこのロシアの政治思考は、2016年現在のプーチン政権にも明確に継承されている。

 

 

揺れ動くロシアとその振り子=プーチン 

 

皆さんはゲンナジー・ジュガーノフという人物をご存じだろうか?

ゲンナジー・ジュガーノフ - Wikipedia

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↑ ゲンナジー・ジュガーノフ 

 

詳細は上記リンクに譲るとして、ここではそのポイントのみ記述する。

 

このジュガーノフはロシア共産党の党首であり、ソ連崩壊後、常にエリツィン=プーチン政権の政敵として存在してきた。

現在高い支持率を誇るプーチン政権であるが、今後何らかの失政により支持率が急落し政権を失うこととなった場合、その対抗勢力として政権を担う可能性があるのがこのジュガーノフである。

ジュガーノフが自らの政治思想をまとめた唯一の著書が上記リンクの

1996年6月 『ロシアと現代世界 汎ユーラシア主義の戦略』(黒岩幸子・佐藤優共訳)、自由国民社

である。

 

ソ連崩壊後成立したエリツィン政権は極端な西欧主義を採用する。それは西欧=アメリカと敵対し、広大なユーラシアを共産主義で統一することを目指した旧ソ連のユーラシア主義への反動であった。

そしてその対抗勢力であるジュガーノフは、自身の著書のタイトルからも分かるとうり、ユーラシア主義を主張する。

 

エリツィン政権はデノミの実施などによってソ連崩壊の衝撃を落ち着かせることには成功する。しかし、膨大な国有資産は欧米の多国籍企業によって買いたたかれ、またそれと結託したロシア人の新興ビジネスマン(オリガルヒと呼ばれる)は、圧倒的な富裕層として君臨することとなる。

この急激な貧富の格差拡大は、当然、平等を是とするロシア共産党=ジュガーノフへの支持につながる。

そうした中、支持率が低迷するエリツィンの後継として突如登場したのがウラジミール・プーチンである。その背景には、ジュガーノフ=共産党の躍進におびえるオリガルヒたちのプーチン支援が存在した。

 

「現代のロシア皇帝」とまで称されるプーチンであるが、政権発足当初の政権基盤は脆弱なものであった。

 

初期のプーチン政権はエリツィン政権の後継ということもあり、またオリガルヒたちから資金援助を受けたこともあって、親西欧主義を採用する。

しかし、プーチンはエリツィンのように西欧主義一辺倒にはならなかった。プーチンは自らの政権基盤を強化するため、チェチェンの紛争を拡大させロシア民族主義を高揚させた。

ロシアにおいて民族主義とは西欧からの自立、すなわちユーラシア主義の採用を意味する。

 

プーチンは、チェチェン紛争を利用することでジュガーノフ支持層=ユーラシア主義者の支持を集め、同時に自らのスポンサーであったオリガルヒたちを権力によって弾圧した。

 

プーチンの権力掌握の過程はこうである。

エリツィンのような西欧主義一辺倒ではオリガルヒたちに逆らうこともできないし、支持を拡大するユーラシア主義を抑えることもできない。であれば、外部の紛争(コソボ、チェチェン)を利用し一時的にユーラシア主義者の支持を集めた状態で、オリガルヒたちを権力・暴力によって叩き潰す。

またそれをパフォーマンスとして「魅せる」ことでユーラシア主義者からの支持を強固にする。そして自らの権力が固まった段階で、再び西欧主義者への妥協=自らに従うオリガルヒの保護を行う。また同時に、貧困層へのガスの無償の配給など、貧困層=ユーラシア主義への配慮も継続する。

こうして親西欧主義とユーラシア主義の両方を抑えることに成功したのがプーチンなのである。

 

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↑ 代表的オリガルヒであるオレグ・デリパスカを恫喝するシーン。プーチンが作業着を着ているあたり貧困層へのパフォーマンスであることが分かる。

 

 しかしここでプーチンにとってある問題が生じる。

プーチンはオリガルヒたちを弾圧する際、自らの出身母体である旧KGBの出身者の力を利用したため、このKGB出身者が新たな権力層(シロビキと呼ばれる)として成立し、このシロビキはロシアン・マフィアと一体化していた。そのため、政権の腐敗・汚職が一段とひどくなり、またその利権にはプーチン自身も手が出せないほど強大化していた。

 

プーチンは2期目の大統領の任期を終え、大統領の座をメドベージェフに譲り、自らは首相に就任した。 

しかし、なぜプーチンはあえて3期目の大統領に就かず、あえて首相に就任したのだろうか?

 

学者や研究者の言う解答はこうである。

「ロシアの憲法では大統領は2期までと定められているため、プーチンはこの憲法の規定を守った。そこで腹心であるメドベージェフを大統領にし、自らは首相として院政を敷くことを選択した。」

 

しかしこの解答は不正解であり、結果論からの後付けでしかない。

なぜなら、学者の言う解答では、「なぜプーチンは憲法を変えずあえてその規定を守ったのか?」という問いに明確に答えられないからである。憲法は大事だから守らなくちゃいけない、という優等生的な発想である。

旧KGBとロシアン・マフィアが支配する国の独裁者・プーチンが、そんな素朴で素直な発想で大統領の座を譲るだろうか?答えは否である。

 

プーチンが大統領の座を譲り首相に就任した真の理由、それは国内で強大化し過ぎたシロビキとの権力闘争に集中するためである。

 

権力掌握の過程で自らが頼ってきたシロビキであるが、権力掌握を完了してしまえばもはや無用の存在である。「狡兎死して良狗煮らる」、KGB出身のプーチンらしい冷徹な発想である。自らの権力を脅かす存在はなんとしても排除せねばならない。

またロシア国家の発展という視点から見ても、汚職と暴力で金を稼ぎビジネスやイノベーションの才覚のないシロビキは、排除すべき存在である。

プーチンはロシア国家の腐敗の軽減と健全な経済発展のためにも、シロビキと闘わなければなかったのである。

 

しかし、旧KGBの出身でロシアン・マフィアと一体化したシロビキは、暴力と資金と頭脳を備えた集団であり、いかにプーチンといえど一筋縄でいく相手ではない。

そのため、プーチンは権力闘争に注力する必要があったのである。だからこそ、プーチンは外交問題等を扱う大統領を親西欧主義者・メドベージェフに任せ、自らは国内問題専門の首相に就任したのである。

 

 

ここまでプーチンの権力掌握の過程を祖述した。そこから見えてくることは、プーチンが親西欧主義とユーラシア主義の狭間でその振り子として存在すること。そしてその流れを的確に読み解き、西欧主義→ユーラシア主義→西欧主義→、、、と巧みに変貌し使い分けるプーチンの政治的実力である。

 

こうして4年間にわたるシロビキとの権力闘争を終え、2012年、プーチンは再び大統領の座に就く。オリガルヒ・シロビキ・貧困層すべてを抑えたプーチン。そのとき、もはやプーチンに逆らえるものは存在しなかった。

かくして「ロシア皇帝」プーチンが誕生したのである。

 

最後にこのプーチン自身の戦略とロシアの未来を記述する。

 

 プーチンの政治思想

シロビキとの権力闘争に一段落をつけ、権力を掌握したプーチン。これまで親西欧主義とユーラシア主義を使い分けてきたプーチンであるが、ではそのプーチン自身はどのような思想を持っているのか? 

 

近年注目されているロシアの思想家にアレクサンドル・ドゥーギンがいる。モスクワ大学の教授でネオ・ユーラシア主義の祖であるといわれ、一説にはプーチンのメンター(思想的指導者)であるとも言われている。

 

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↑ アレクサンドル・ドゥーギン 

 

ドゥーギンの思想を読み解くうえで必要な日本語資料のリンクをいくつか貼っておく。

www.foreignaffairsj.co.jp

ci.nii.ac.jp

また、ユーラシア主義の動きについて述べたのが以下の論文。

http://www.for.aichi-pu.ac.jp/tabunka/journal/1-4-5.pdf

 

そして、プーチンの思想を読み解くうえで最も重要なのが、1999年12月に発表された論文「千年紀の境目におけるロシア」である。

適当な日本語資料が見つからなかったので、英文の資料のリンクを貼っておく。

Putin on RUSSIA & MILLENNIUM

Vladimir Putin's first paper as president: 'Russia at the Turn of the Millennium' - A Strategy for Russia's Revival -- Puppet Masters -- Sott.net

 

また、1人の人間が思想を形作るうえで、その来歴が重要であることは言うまでもない。以下にwikiのプーチンの項目のリンクを貼っておく。

ウラジーミル・プーチン - Wikipedia

 

 

まずドゥーギンの思想についてまとめる。

ドゥーギンによれば、ロシアはアメリカ型の新自由主義に対抗する必要があり、その核となるのが「ユーラシア帝国」という概念である。社会や個人の価値観の面では、伝統的な宗教・文化を重んじる保守主義を唱える。またドゥーギンのネオ・ユーラシア主義には地政学の影響が極めて大きく見られ、例えば、ロシア主導のユーラシア帝国成立の手段としてドイツ、イラン、そして日本との同盟を唱え、そのためにケーニヒスブルクや北方領土の返還も選択肢にあるとしている。

 

本稿でも述べたように、ロシア民族主義とは反西欧のアイデンティティの高揚であり、それは相対的弱者であるロシアの実情から、必然的にユーラシア主義と結びつく。

ドゥーギンの思想=ネオ・ユーラシア主義は、まさに「素朴なロシア民族主義」ともいえるものであり、ロシアの一般大衆の思想を古典的な地政学の論理で代弁したものであろう。

 

論者の中には、ドゥーギンがプーチンの思想に大きな影響を与えており、ドゥーギンを「プーチンのラスプーチン」とまで呼ぶ者もいるが、それは不正確であるように思える。

正確には、プーチンがロシア一般大衆と愛国者層の支持を固めるために、ドゥーギンを利用している、といった方がよいだろう。

 

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次にプーチン政権発足の直前に発表された論文「千年紀の境目におけるロシア」の内容はおおよそ以下のようである。

「ソ連崩壊後のロシアにとって最も重要な課題は「強いロシアの復活」、すなわちロシア国家の国益の最大化であり、それを実行しうる政治・経済・社会の体制整備である。

そのため、少なくとも、近いうちにロシアが英米型の社会体制になることはないであろう。ただし長期スパンで見れば、ロシアはドイツ型の社会民主主義国家を標榜していく。いずれにせよロシアはその独自の価値観を継承し、また自立しうる軍事・経済力を保持しなければならない、、、」

 

 

 以上いくつかの資料と上述の権力掌握過程、旧KGB出身の諜報員というその来歴、そしてプーチン政権の政策を総合すると、プーチンの政治思想の実相が見えてくる。

 

 

おそらく、プーチンの政治思想で最も重要視されるのはロシア国家・ロシア人の国益である。

親西欧主義やユーラシア主義といったイデオロギーはプーチンにとってはそれほど重要ではなく、国益や権力のための1つの手段にすぎない。

政治の手足である諜報員・プーチンにとってはこれが至極自然な発想であろう。政治的戦略や駆け引きには長けているが、次世代の世界(=思想・イデオロギー)を描く構想力には欠けている、それが諜報員というものである。

 

しかし、そのプーチンもロシア国民の支持がなければ権力を維持できない。そのため大きな流れとしては、プーチンはロシア大衆の思想の流れに従う。そしてその流れは、西欧主義とユーラシア主義のあいだを振り子のように揺れる。

 

ここにプーチンの長期戦略とロシアの未来の答えがある。

 

ロシアの長期戦略とその未来

 

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ロシア国民の間では今後、ロシア民族主義(=ユーラシア主義)が高まっていく。

これは旧ソ連諸国が次々にEUに加盟し、その拡大が隣国ウクライナやバルト三国にまで及んだことに起因する。つまり、中世のドイツ騎士団の侵略以来続く、ロシアが西欧の支配下に置かれるという恐怖心である。

 

プーチンは今後、このロシア民族主義の高まりとそれに伴うユーラシア主義の動きに合わせた戦略を採用するであろう。

 

具体的には、クリミア併合のようなロシア人居住地域の併合、また旧ソ連地域を再統合しようとする「ユーラシア連合」の推進である。

旧ソ連地域におけるロシアの勢力拡張は、ロシア国家の国益と国力の増強の観点から進められていく。欧米と対抗する以上、この政策は維持される。

 

経済面では欧米との対抗上、経済成長著しいアジアと隣接する、極東ロシアの開発が至上命題となる。当然、隣接する大国・中国との関係改善や貿易が活発化する。

しかし、ユーラシア主義者(=ロシア愛国者層)の間では中国への不信感が根強い。それは感情面でもそうであるし、現実面でも、極東ロシアと中国北部の人口のアンバランスからシベリアが中国に併合されかねないという危機感がある。

 

そのためロシアは極東において中国を抑えるためのカードとして「日本カード」を考えている。

日ロの連携によって中国を抑え込む戦略である。これは軍事面ではアジアからヨーロッパに抜ける北極航路と日本海進出に並々ならぬ関心を寄せる中国への牽制であり、経済面では日本資本を進出させることで中国とのバランスをとる狙いがある。

その日本をロシア側に引き寄せる唯一のカードが北方領土である。外交に巧みなロシア・プーチンがそうやすやすと北方領土を引き渡すわけがない。

その意味では、今回の安倍首相の対ロ協力は上記のロシアの戦略に合致する動きであり、北方領土問題解決に向けた現実的な動きともいえる。

 

中国と比べ相対的に弱者であるロシアは、同じく相対的弱者の日本と組むことで、中国を抑えようとするであろう。

 

 

ロシア民族主義(=ユーラシア主義)の高まりはすなわち欧米との対決を意味する。しかし中国との関係同様、ロシアは欧米と比較して相対的に弱者である。

そのため、ロシアは欧米を抑えるカードとして「イスラムカード」を考えている。

ロシアとイスラムとの同盟、これがロシアの対欧米における切り札である。

 

現在、イスラム世界はいくつもの国に分裂しているが、やがて緩やかな連携と統一の模索が始まる。統一イスラムの誕生は新たな超大国の誕生を意味するため、それを目指す動きを欧米・中国は決して許さない。現状、ロシアも許してはいない。

しかし地力で劣るロシアは今後、欧米・中国との勢力争いで劣勢に立たされ続ける。その結果、追い込まれたロシアは、そう遠くない将来、イスラムとの連携=政治・軍事面での協力を切り札として使う。

具体的には、政治的にはイラン・トルコとの関係を深め、アラブ産油国とは石油生産での連携の形を取ろうとするであろう。

(このロシアの戦略が成功するかはもちろん不明。特にトルコとの関係は要注視)

 

欧米に対して相対的に弱者であるロシアは、同じく相対的弱者であるイスラムと組むことで欧米を抑えこもうとするであろう。

 

ロシアの政治思考は複雑そうに見えて、じつは一貫性がある。

 

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これが21世紀前半~中盤のロシアの長期戦略である。ではその先はどうか?

 

上記で見たようにロシアの政治思想は、親西欧主義とユーラシア主義の振り子である。現在のユーラシア主義の振り子はやがて必ず親西欧主義に傾く時が来る。

 

21世紀後半から22世紀にかけて、ロシア民族主義(=ユーラシア主義)から親西欧主義へと傾いていく。

このときロシアはユーラシア連合諸国とともにヨーロッパと一体化することを選択するであろう。ヨーロッパもその衰退と米中イスラムへの対抗上、ロシアとの一体化を選ぶ。ここでも相対的弱者同士の連携となる。

 

プーチンの眼はここまで見通している。長期的に見れば、ユーラシア連合はEU加盟の際にロシアが大きな発言力を確保するための準備であると見ることもできる。

 

 

親西欧主義とユーラシア主義のあいだで生き続けたロシア。ロシアがヨーロッパと一体化するとき、ロシア千年の夢が成就する。

それは本当の意味での「ユーラシア=ユーロ・アジア国家」の成立、ロシアが主体性を確保したうえでのユーラシア国家の建設なのである。

 

 

これがロシア=プーチンの頭の中にある世界の未来図である。

もちろんロシアの戦略通りに歴史が動くわけではない。

 

しかし、こうしたロシアの戦略を読み解けるかどうかは日本にとって死活問題である。

 

 

目の前の北方領土問題の進捗に大騒ぎし、目先の利益だけを考えているようではダメである。

他国の戦略をできる限り精緻に研究し、そのうえで長期的な視野を持って日本自身の戦略・未来図を描いていく、これこそが今の日本に求められているのではないだろうか?

 

 

 

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↑ おまけ。プーチンの娘だそうです。かわいい、、、